2017.02.16
先生より
将来なりたい理学療法士像として、患者様から信頼を得、心のケアが出来る者になりたいという言葉をよく聞く。話としては全く御尤もであるが、そのために必要なことはなんなのであろうか?
前提条件としては、自分の立場(理論)を守るためのウソ、誤魔化しであっては成立しないという事である。
科学の始まりは、多くの人がその知識を利用して幸せになる事を目標としている。したがって、データーの改変などはあってはならない。そもそも、信頼に値しないデーターを収集して、仮説は立てられないのは当然であろう。仮説は検証によってさらに深く本質に進む道筋を立ててくれることになるが、仮説が連続し続けると妄想と呼べるもので、自らの行動は迷走する。
自分を信じる事が出来ない人が患者様に信じて欲しいと言うのは傲慢であろう。自分を信じられる状況を作るために、勉強し、経験し鍛えていく事は当然であると考える。
経験の中で失敗を恐れるあまり、人の指示をばかり待っている者もいる。自分のできる範疇から出ようとしないモノもいる。自分の心・行動を狭く閉ざして、心を開いてもらえると思うのであろうか?
傷つきたくないという事で評価されることを恐れ、他者を評価し「優しい」で自分に都合の良い人を見極める。庇護される事を望み、変わることを望まない。今の自分のまま認められることを望み、未来の自分に期待していないのではないかと感じさせる事もある。縮こまる方向に働く力は、連続して続き「消極的な生き方」を作り出してしまう。自分の可能性もどんどん減少する。
人は、成した事によって評価されるのであって、その蓄積が未来に期待を抱かせる事になる。その前に、いざと言う時のために力を蓄え、備えていく。それは苦しいことかもしれないが、その苦しみを強く感じる人と、それを楽しめる人では到達度が違ってくるのは当然である。
同じものを食べたから同じ人間に成るわけではない。もっとも、楽しみや喜びは、苦しさを味わった方が濃密に感じることは事実であるが・・・。
「生きたいところで生きる」、「成りたい者になる」変化する事を恐れず、変化する事が出来るのが「生きている」につなげる為に、その努力はやりがいのあるモノなのであると認めてみよう。そして、もっと自分を信じて、もっと自分に期待して、気持ちよく、愉快な仲間と仕事や人生に乾杯の盃を上げよう。凛々しく。
理学療法学科総括学科長 畠山敦
グループ校