理学療法学科 昼間部 卒業生
古寺 夏実さん
授業でかけられた担任の先生の言葉
それが理学療法士人生の糧となる
学科 | 理学療法学科 |
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卒業年度 | 2018年3月卒業 |
勤務先 | 府中恵仁会病院勤務 |
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趣味/特技 | 走ること(特技)、レース編み(趣味) |
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卒業後は希望していた急性期病院で理学療法士として活躍されている古寺さん。年間5000台も救急車を受け入れている救急医療病院での日々は、日リハでの授業中に担任だった高瀬先生からかけられた言葉が支えとなっているそうです。それはいったいどんな言葉だったのでしょうか。
「中学時代の怪我が理学療法士志望のきっかけ」
- Q. 古寺さんはなぜ理学療法士を目指したのでしょうか?
- 中学時代、陸上部に所属して短距離をやっていたのですが、肉離れを起こし、大きな腱を2か所痛めてしまい、上手く身体を動かすことができなくなりました。3ヶ月間をリハビリに費やしたのですが、自分の身体を思うように動かせないことがこんなにも大変だということを、怪我を通して体験しました。
それと同時に、「骨折をしたり病気になったりして身体を動かせなくなってしまった方はもっと辛い思いをしているのだろう」と考えるようになり、そんな方々がまた元気になるためのお手伝いがしたいと思い、理学療法士を目指しました。それが中学3年生の時のことでした。
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「この学校なら間違いなく迷うことはない」
- Q. それでは、古寺さんが日リハに決めた理由を教えてください。
- 高校2年生の冬に学校説明会に参加した際に、先輩方や先生方の熱意を感じたことが決め手になりました。母と一緒だったのですが、私も母も「未来の医療人を育てる」という学校の想いを感じましたし、「この学校なら迷うことはない、途中で挫折しそうになってもこの先生方が私たちを引っ張ってくれる」と思い志望しました。
AO入試第2期で合格した後は、学校が主催する事前勉強会に参加して医療についての学びの意識を高めることができました。入学まで時間的余裕があったこともあり、少し早めに知識を頭に入れることができて良かったと思います。
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「知識や技術だけでなく人間性も学ぶことができた」
- Q. 古寺さんにとって日リハで学んだ4年間はどうでしたか?
- やはり、勉強しなくてはいけない量も圧倒的に多いですし、実習時間が他校よりも長く、大学生と比べても長期休みも日数が少なかったのは、今から振りかえっても大変な日々だったと思います。ただ、それだけの時間を費やして4年間を勉強することができたことは、確実に自分の自信になりました。
それに、ただ授業をこなしてその領域の知識を増やしていくだけでなく、「なぜこの知識が必要なのか」「学んだことをどのようにして患者様に活かすのか」というところまで教えて貰えるところが、日リハの授業の大きな特長です。さらに、先生からは理学療法士の知識や技術だけでなく、人間性までも学ばせていただくことができました。
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「希望する急性期の病院での勤務」
- Q. 古寺さんが卒業され、理学療法士として働きはじめてから4年が経過しました。就職先はどのように決められましたか?
- 就職は希望していた急性期病院に入職することができました。東京都指定の二次救急医療機関ですので、骨折や脳梗塞直後の方が搬送されてきて、早ければ当日からリハビリ介入を行っています。年間にして約5,000台もの救急車を受け入れている病院です。
当初は実習先の病院から誘っていただいていたのですが、急に私たちの年度は採用をしないことになりました。どうしようかと悩んでいた時に、先生から「古寺さんの住んでいる地域で良い病院があるよ」と提示していただき、そこから見学に行って決まりました。
リハビリ専門の病院と比べて、怪我をした直後の患者様が運ばれてくる急性期病院では、自分の障害や怪我を受け入れることができていない方もいらっしゃいます。そういった方々の、身体だけではなく精神的な面も含めて、今何が必要なのかを常に考えることができる理学療法士であり続けたいと思っています。
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「授業でかけられた先生の言葉に支えられ」
- Q. 勤務先での心に残る患者様とのやりとりなどがあれば教えてください。
- 今の病院で働く日々は、担任だった高瀬先生の授業でかけられた言葉に支えられてきました。ある授業が終わった時のこと、高瀬先生が「今日の内容をちゃんと理解した君たちだったら、臨床現場に出た時に、中途半端なリハビリで終わりにしてはいけないなと必ず気づくはずです」と仰いました。その時は、その言葉が意味することをしっかりと理解できたわけではありませんでしたが、ずっと頭のどこかにひっかかっていたのです。
そして入職して1年目、余命短い患者様を担当していた時のことです。その方は寝たきりになられ、かつ身体も大きかったため、新人だった私にとってはベッドの端に座らせるだけでもひと苦労でした。徐々に状態の悪い日が増え、病室でのリハビリが中心になっていきました。
そんな中で、意識もバイタルも良好だったある日、病室ではなくリハビリ室でのリハビリを希望されたのです。その時、「車椅子に乗せていたら時間がかかって残業になってしまうかも」という思いが頭をよぎったのですが、この時、私は高瀬先生の言葉を思い出していました。「余命いくばくもない人を前に中途半端なリハビリで終わらせるわけにはいかない。どれだけ時間がかかっても今起こすのが最善」と判断し、リハビリ室へ移動しました。そこで窓から久しぶりに空を見た患者様から「夕日が綺麗だね。ありがとう」と言っていただけたのですが、深夜に容態が急変。それがその方との最後のリハビリとなりました。
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「命の授業から学んだこと」
- Q. そうだったのですね。高瀬先生の言葉を思い出さずに、その日も病室でリハビリを行っていたら、古寺さんにとっては理学療法士人生でずっと引きずる経験になっていたかもしれませんね……。
- この経験は、「その方にとって最善のリハビリや関わり方とは何か」について考え続けることの大切さを教えてくれましたし、あの日の自分の判断は間違いじゃなったと心から感じました。そして、ご家族の方からも電話をいただいて、「リハビリをしてくださってありがとうございました」と声をかけていただいたのですが、私にとっては大切な命の授業をしていただいた経験となりました。
高瀬先生だけでなく、日リハの先生は週に一度現場出ていらっしゃるので、現役の理学療法士でもあります。だからこそ、授業の端々に、現場の最前線を知る人だからこそ出てくる言葉の重みがあると感じています。