作業療法学科 夜間部 卒業生
田爪 ゆかりさん
家庭がある中で決意した
作業療法士になるという選択
学科 | 作業療法学科 |
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卒業年度 | 2020年3月卒業 |
勤務先 | 東京湾岸リハビリテーション病院勤務 |
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趣味/特技 | 登山、ピアノ演奏 |
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販売業と介護職という社会人経験を経て、高校時代に抱いた「作業療法士になる」という目標を実現させるため、キャリアチェンジを選んだ田爪さんのヒストリーをお届けします。学び直しの決意や、家庭がある中での4年間の学び、そして現在の業務について語っていただきました。
「一般就職後、作業療法士を目指した理由」
- Q. 他の仕事に就かれていた田爪さんは、どうして作業療法士になろうと思われたのでしょうか?
- 高校時代に作業療法士になりたいという目標を抱いていましたが、大学進学を選択し、そのまま販売業に就職しました。それでも、人に関わり役に立ちたいという思いを捨てることができず、介護職に転身。その後、サポートするだけでなく、その人自身がやりたい事やできる事を増やしてあげられるようになりたいと感じたため、高校時代の目標だった作業療法士を目指し、2016年に日リハの夜間部に入学しました。
すでに結婚していたのですが、夫は「やりたいことをやった方がいいよ」と背中を押してくれました。私が家事ができなくなってしまうこともありましたが、夫が率先してやってくれて、勉強に集中できるように支えてくれました。日リハ卒業後は回復期の病院である今の職場に入職しました。
もともと高校時代に作業療法士という仕事を知り、興味を抱いていました。その後、大学時代に入院を経験したり、ボランティアで障害者の方と接する機会を重ねたりしたことで、「自分が当たり前に生活できていることのありがたさ」を感じましたし、生活に支障を抱えている方がいるならば、その人の役に立てる仕事がしたいと思いました。
それでも、大学卒業後は普通に就職し、長らく販売業に携わっていました。人と関わることができる仕事ではありましたが、やはり自分は商品を売りたいわけではないという想いがどんどん膨らんでいき、12年勤めたその会社を辞めて、介護の仕事に転職しました。いきなり作業療法士を目指すのではなく、自分に人のお世話ができるのかを介護の仕事を通してまずは確かめたいという想いがありました。 - Q. 介護職ではどのような仕事をされていたのですか?
- リハビリに特化したデイサービスで働いていました。様々な職種の方々と共に働き、リハビリに励む利用者さんに関わる中で、自分の知識不足を感じ、できることがどうしても限られているという想いが次第に強くなっていきました。
「サポートするだけでなく、その人自身がやりたい事やできる事を増やしていけるアドバイスや指導ができるようになりたい」と、やはり高校時代に抱いていた「作業療法士になる」という夢を叶えるべく、その道へと進む決意をしました。年齢的にも、自分にとっては最後のチャンスだと感じたのです。
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「数ある学校の中から日リハ夜間部に決めた理由」
- Q. 数ある養成校の中から日リハを選ばれた理由を教えてください。
- 社会人経験も長かったので、勉強だけに集中するよりも、ある程度の収入を得ながらの方が合っていると思ったので、夜間部を探していました。そんな時に、日リハの説明会に参加した際に、学生が主体となって開催していることに対して親近感や信頼感を抱きました。さらに、臨床実習や即戦力の育成に力を入れていることも、自分の年齢を考慮すると重要なポイントでした。
それに加えて、「夜間部就学支援金」や「介護資格保有支援金」をもらうことができたので、学費の面でも助けていただきました。
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「家族に支えられたキャリアチェンジ」
- Q. ご家族がありながらの勉強は大変だったことと思いますが、どんな生活を送っていましたか?
- 前から興味があるとは常々言っていたのですが、販売職の仕事を辞めようと決めた時に正式にキャリアチェンジしたい旨を伝えました。夫は、私のキャリアチェンジについては一貫して賛成してくれていましたし、日リハに入学した後もずっと協力してくれました。
勉強が忙しすぎて、なかなかごはんも作ることができませんでしたし、土日だけ一緒に過ごすくらいの生活スタイルに変わってしまったので。ただ、夫も仕事が好きなタイプなので、やりたいことを目指したい気持ちを理解して汲んでくれました。家事の負担についても文句を言われたことはありません。なにより、精神面でのフォローが私にとってはありがたかったですね。
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「社会人を経て、再びの学生生活」
- Q. 社会人を経て再び学生に戻られて、学校生活はいかがでしたか?
- 私の学年は、私が最年長でした。10年以上ぶりの学生生活は「とても新鮮だった」という言葉に尽きます。最年長ですので、本当だったらリーダーシップをとってやらないといけない立場なのかもしれませんが、肩肘張ったり、無理したりするのはやめようと思っていたので、クラスメイトから良い刺激をもらい、勉強することに集中しました。
おかげで、日リハでの4年間が「人生で一番勉強した」と断言できます。とはいえ、家庭があるので家に帰ってしまうとなかなか集中して勉強ができませんので、リハビリ助手のアルバイト先や学校、電車の中など色んな場所で積み重ねていきました。
そしてなによりも、臨床実習の大変さが一番思い出に残っています。実習内容、環境、人など全てが初めての中での緊張感やプレッシャーは大きかったですが、その中でクラスメイトと励まし合ったこと、先生が支えて下さったこと、現場での先輩方や患者さんとの出会いはかけがえの無いものになりました。
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「現場を通して感じたこと、直面した壁」
- Q. 田爪さんが作業療法士として働き始めてから2年が経過します。この2年間を振り返っていかがでしょうか?
- やはり、高校時代に作業療法士になりたいと思ったきっかけが、「患者様の生活面の役に立ちたい」ということもあり、より密に生活にアプローチできる回復期の病院を希望していました。
入職後、1年目はかなり大変でした。医療職ですので、1年目であっても一人の作業療法士として、先生や多職種の方々から意見を求められます。経験が不十分な中で自分の意見をはっきり言うことに対して難しさを感じていました。それでも、今の病院は教育体制がしっかりしていたこともあり、先輩たちから教えていただける機会が多かったことは支えになりました。
2年目に入ると、自分自身が経験を積み重ねたことで、少しずつ気持ちに余裕が生まれ、チームとして患者様のことを考え、工夫していく中で充実感を得られるようになってきました。 - 現場での経験を重ねてきて、今の田爪さんが率直に感じていることを教えてください。
- 現場に出てみて、患者様や他職種との信頼関係を築くことの難しさとその重要性、技術や知識を持って関わること、そしてコミュニケーション力の必要性を感じています。患者様と治療の方向性や目標をうまく共有できなかった経験など、壁に当たることもまだまだ多いです。患者様の気持ちよりも自分の考えを押し付けてしまったことで、患者様からの協力が得られなかったこともありました。
日リハでの授業は1年目からグループワークが多かったのですが、いざ現場に出て働いてみると常にチームとして動いていますので、作業療法士の業務にコミュニケーション力や協調性が必要不可欠であることを当初から教えてくださっていました。これら授業での経験が、実践には役立っていると思います。
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「課題を乗り越えた先に携わりたいこと」
- Q. 田爪さんは、この先どんな作業療法士を目指していきたいのか、最後に教えていただけますか?
- 現時点で自分が抱えている課題でもあるのですが、患者様にも一緒に働くスタッフにも信頼してもらえる作業療法士になりたいです。
その先としては、回復期でリハビリに携わる中で、退院された患者様が戻られた生活の中で、自分がしてきたことが本当に役立っているのか気になることが多いです。回復期でじっくりと日常生活動作(ADL)の回復や生活の質(QOL)の向上に関わることができるのはすごく楽しいですが、将来的には訪問リハビリを経験することで、実際の生活場面での課題に向き合っていければと思います。